1-3.デザインへの期待と新しい役割

デザインの自立と目標 nocilis
大手企業にいる時に疑問がありました。それは企業の目的としては当たり前のことなのですが、利潤を得るために商品開発やデザインをしていました。そして商品として消費されていきます。ところが、私が持っているこの商品は子供たちの発想を育ててくれることを目的としてデザインしました。これは子供たちが「ニコッ」と笑ってくれることを狙ってデザインしたのですが、結果として様々に社会から評価されてビジネスとして利潤を生むようになりました。これは私が大手企業にいる時の仕事とは真逆のやり方です。すなわちデザインは消費されて行くのか?何かを創って行くのか?という疑問がわき上がって来るものです。
一方、最近は、企業のコンサルティングもしているのですが、企業の中でもこれまでのやり方ではなく「知的集約型の仕事は何をすべきか?」という議論が起こっています。キャッチアップの時代が終わり、労働集約型の産業は振興国に移ってしまいました。今、日本国内でやるべきことは、知識集約型の産業を育てることですが、メディアや政府は「モノ造り日本」というタイトルを大事にして次の産業の在り方が描けていません。
ユーザーは何を買って、何を楽しみにしているのかというと、昔とパラダイムが替わっています。何を価値として社会からお金を受け取るかが重要で、モノや空間等、実体のあるものにしか意識が行っていないような気がします。その価値は、機能なのか、空間なのか色なのか、照明の明るさの価値なのか、また意味的価値なのか、産業となりうる価値の再構築が必要だと思います。
ポスト産業資本主義社会におけるオープンアーキテクチャ化の差異の創出には、デザインの方法が求められます。その良い事例がアップル社だと思います。確かに草創期のアップルコンピュータ社はコンピュータというものを売ってきましたが、今や違います。確かに製品としてはiPhone やiPad、Mac の様な商品をイメージしますが、それらを創る技術はアップルの技術ではなく、ほとんど中国を中心とする新興国で、その価値はOS やネットワークサービス、デザインという形のないものです。うまく知識集約型の産業になっています。これからの産業としてのデザイン、設計技術、ソフトウエアー、アニメ、ゲーム、美術、音楽等のクリエイティブソフト産業構造を統合的に再構築する必要があります。

デザインに寄せる期待
マーケティング側で言うと、これまでのように仮説を検証するとか、現状が解る調査をするのではなく、新しい価値を創出することが重要になってきています。
デザインは希望の星です。デザインは、いわゆるロジック、弁証法で積み上げて行くのではなく、アブダクションという言葉があるように、現場の知恵をくみ上げながら、コンテキストの中から、何か確からしい答えを一足飛びに考える力、そんな力がデザイナーにはあると思うんです。大事になってくるのは、単に新しい商品を創出するのではなく、形があろうがなかろうが、結果としてバリューを生み出すことが大事なんです。 abduction
スタンフォード大学では創造型経済を目指し、旧来のビジネススクールに対抗する「d.school」を立ち上げ、デザイン的思考法(Design Thinking)の教育が行われています。かつて東京大学の総長をされていた生産工学の博士である吉川 弘之先生が同じ様なことを提唱されていたように思います。例えば東京大学と東京芸術大学の統合構想とか、アクシス誌にアブダクションについて解説される等、色々提言されていたのを覚えています。昨年、北京大学と清華大学に行ったのですが、既に清華大学はその形(科学と芸術の統合)になっていました・・・。いずれにしても創造型経済という視点では、デザインやデザイン的な思考の期待が高まっています。そのような中で、これまでの様なデザインの在り方で良いのかということを、デザイナー自身が考える必要があるのではないでしょうか。

理性と感性の再融合
最近、工学系の大学でデザイン教育をするという試みは、乱暴に言うと近代的思考(理性中心)では解決出来ない問題も多くあることから、一度、近代以前に戻って考えてみようと言う議論が始まっていると言ったら言い過ぎでしょうか?
そのような意味で、ロジックだけではだめで、感性だけでもだめで、その両方に優れた能力が必要であることから、「デザインの方法」へ期待が高まっている様に思います。かつてはアートとテクノロジーが分離していなかった時代の様に。


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