6-4.情報価値と文化

良いモノが解らなくなった関西人/産業資本主義社会の呪縛
工場  関西創造型メガロポリス構想の6番のところに出いる課題であるが、デザインは基本的に、感性とか感覚の問題で物事が決められていくわけではなく、情報の中でものが作られていくわけです。
大阪、京都の人も、そうですけども、「小さい時から良いものを見せろ」と言うのは何んなのか? かつて、大阪の旦那集は、丁稚や使用人に、高価で優れたのもを使わせて厳しく教育したという。それは洗練された情報を子供の時からあたえている事です。それが大きなビジネスに繋がって行く訳です。家庭でも、店でも、レベルの高い洗練された情報が受け継がれ、社会やのれん(ブランド)が繋がって行く。

文化は金になるのがポスト産業資本主義社会
すなわち、文化的情報の大切さっていうものを企業や家庭でも、きちっと捉えてない。アイディアの発想や考え方等で、現在の企業は根本的なところで間違っている。根本的な考えや、大事な情報を伝えていないから、全て安い安価な事が良い事として、市民も、企業も追い求めている。既に産業資本主義の時代は構造的に終わっているのに。それではデザイン料は安くなってしまいます。
産業資本主義社会の構造の中で組まれた話で、コストダウンを追いかけていったら絶対そうなる。だから、新しいバリューを生み出すっていうクリエイティブ産業になってない。
 富と競争を最終目標にすると、いま、日本全体が陥っている産業資本主義社会の終焉に巻き込まれてしまう。今大事なのは、何を求めようとしてるのかってであって、このメガロポリスの構想の基本のところに据えないと、根本的にまちがってしまう。そうでないと産業資本主義社会の終焉の波にのみこまれてしまう。例えば、京都府で銀閣寺の納めるお菓子だけを造ってるところが何百年も行き続けられるっていうことはありえない。新しい価値ののシステムをを大阪大阪では、考えていかなきゃいけない。その為には本当の情報収集と真剣に時代を読む作業をやらなくては行けない。

文化を富みに変えるシステム
工場現在の大阪では、文化の価値は金にならない、ただ単に文化は仰ぎ見るものになってしまっている。それそれでは、大きな富として変わっていかない。そういう視点でも考えてみたい。メガロポリス構想で、関西の文化的リソースを観光・輸出資源化というテーマでまとめていってるけど、関西の文化って言うとすぐ、伝統のある伝統文化を想起してしまう。そうではなく非伝統文化。これも対象として捉えなくてはならない。俗に言うサブカルチャーっていわれてるもんですね。この辺り、今回無理やり引っ張ってきた西野さんに。西野さんはアート関係のプロデュースをされてまさに、わけのわからないものをお金に換えていこうという。
 大阪って言うところがアートの不毛な地だなというふうに長年感じています。と言いますのは、今、大阪市と府が一緒になって、大阪の近代美術館。これも準備室と言いながら約20年も準備しているような、そういう段階であります。国の方からは違約金を払えと言われ、そういう大阪ですので、美術館一つ作るのも難しい街の構造です。これは全国でおそらく美術館を持っていない県は 三県だけだったと記憶している。地方美術館は、美術館の行政で集客を図っているという現状ですが、特に金沢の21世紀美術館なんか有名ですけどね。そういう成功例もあるが、大阪では美術館は非常に不毛である。
今日お集まりのクリエーターさんたちも果たして大阪にある国立国際美術館へ作品展覧会見に行ったりするんでしょうか? 今、映像作品の展示を国立国際でしております。夢か幻かなんとかっていう展覧会名でした。先日行って来ましたら、土曜日にもかかわらず全くお客さんは入っておりません。内容もさることながらなんですが寂しい限りです。おそらくサントリーミュージアムが閉館に追い込まれたのも集客力ができていないということでした。そういった意味で、東京と比較するわけではありませんが、東京の六本木にね、美術館が3つ固まってますので、その辺なかなか大阪とは違うんでしょうが、森美術館行きましても、ちょっと離れたところにある東京都立現代美術館に行きましても、平日の午前中にもかかわらず本当に賑わっています。これは大阪では考えられないなという状況を東京に行くたんびに見てくるんですけども。ですからそういった気持で大阪の方へ戻ってきますので、そういう美術館一つを比較してもですね、先ほど、そういう美術やデザイン教育が大事違うかっていう話がありましたけれども、現実、中学高校でもどんどん美術の時間がなくなってきています。高校ではほとんど専任の教員を置かず、非常勤の教員で回す。高校ぐらいになると、美術やデザインをしたい奴は専門校へ行きなさいというふうに大阪府は特徴のある教育というような位置づけで、中学3年生でその辺の進路を選ばせてるわけです。言わば。そういった教育の流れの中で、果たして美術やデザインがこの大阪で達成する、そういう教育の仕組みになっているんだろうか。という、疑問がある。
 今専門学校のほうで顧問をしておりますけれども、その専門学校のほうでは当然、そのサブカルチャーと言われる、漫画、アニメ、コミックアートっていうところには、本当にたくさんの高校生が入学してきます。おそらく先生方はビジュアルコミュニケーションだとかプロダクトとかインテリアとかその辺が以前は中心的な科だったんですが、その辺おそらく大学の方でも、競争率を落として行ってるだろうというふうに思います。昔はね、大変だった。20倍とか30倍とか、大変難しいデザインの分野だったんですけども、最近ではだんだんと入りやすくなってきたという、象徴があります。かえって、コミックアートとか漫画の分野にどんどん子どもたちが入学してくるということで、今、そういう専門学校のほうでも、そういう子達がなかなか就職という出口には結びつかないので、やはり、漫画家としてどれだけ一人前になるかという教育の制御を今しているところです。実際に大阪でサブカルチャーのメッカという風に、この咲洲地区、南港のと書いてありますが、インテックスの方でコミックマーケットとかコミックシティとかいわゆるコミケというのがあります。ここ行きますと、同人誌という一つのイベントなんですが、おそらく10代を中心に10万人の集客を誇るそういうサブカルチャーのイベントが有ります。昨年の3月21日でしたか、日本橋の方ではストリートフェスタという、これはコスプレのイベントです。その、コスプレのイベントですが、一日で23万人を集客するという、非常に大きな動きがあると。ちょっと、大阪ではないんですが、昨年は鳥取県が、まんが王国鳥取というスローガンを掲げて平井知事がですね、鳥取県は他に観光資源をなんか作らないかんということで、堺港であったり、それから倉吉には名探偵コナンの青山剛昌さんのふるさとやということで。そういった、鳥取県出身の漫画家さんがいるということで、鳥取県の方はまんが王国鳥取というスローガンを掲げて昨年、まんが博を催しました。そういった周辺の動きはあるんですが、はたして大阪が本当にサブカルチャーのメッカになるかということと、それがどう産業化していくのかっていう、その辺はまだ答えが無いが、注目して行きたいなと思っている。

サブカルチャーから新しいハイ・カルチャーや文化産業が生まれる
工場サブカルチャーって強調して書いたのはですね、今、ご紹介あったように若い人の中でものすごいエネルギーを胎動してるっていうか、萌芽期にあるんですよね。極論っていうと大阪に対して失礼ですけど、ハイカルチャーわからないので、サブカルチャーで旗を上げたらという発想もある。かつてのサブカルチャーは何年かしたらハイカルチャーに化る。それが、そこの都市の活力になってくる。だから、ハイカルチャーや現代アートが解らなかったらサブカルチャーでエネルギーとして作っていくっていう手もある。
 新しいサブカルチャーと言われる分野のアミューズメント性にある。これは大阪に向くのでは。USJに始まって海遊館、ATC、舞洲から咲洲にかけて、この地域がアミューズメント性のある施設があるで、こういった湾岸地域に、アミューズメントパークとサブカルチャーを誘致するのも方法と考えます
 多分、お気づきだと思うんですけど、ここのATC歩くといっつも、暗い閑古鳥が鳴いた状態。これは産業資本主義社会の継続を夢見てトレードをテーマとして開発したのですが、日本では産業資本主義社会が終焉に近づきその中心は韓国や中国に移り始めていた。
偶然かもしれないけど、USJができ、それからこの辺りにそういう人たちが集まりいのっていう流れができてきたっていうのは、一つの萌芽としてすごい面白い現象で、それは仕掛けたんじゃなくて、エネルギーになりつつあるんで、大真面目にこの小さな火に油をそそいたらという発想が今回メガロポリス構想の施策案になっている、机上で考えたんではなく自然発生的に起こっている現象に油を注ぐ価値がるのではないか
そして、アミューズメント力のことを考えますと、この大阪では娯楽の王道といってもいいんですが、もちろんパチンコやカラオケ。そういった娯楽っていうところまで広げて行くと、非常にアミューズメント力のある地域なんだなと思う。楽しむっていうことと、最先端アート(日本のサブカルチャー芸術)をテーマ
に促進しては。その中心にカジノアムーズメントパークが有っても良い。
 漫画のコンテキストってヨーロッパ人には理解できないくらい、難しい高度な文脈です。だから、彼らが本気で取り組むと、漫画ってすごい学問の対象や、アートの対象になるんですよね。そのぐらい西欧文化と違うカルチャーである。一方、地域のアイデンティティということを考えると、関西でそれを引き受けるパワーがあるのは大阪では無いか。京都では多分、成り立たないと思うし、神戸もそのような様な下世話な感覚(サブカルチャー的感覚)は無い、逆にそのサブカルチャー的なファッションであるとか、文化っていうのは大阪でうまく育む風土は有る様な気がする。



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