1-1.モノの消費への葛藤

モノの消費から情報(知性や体験)の消費へ debris
これまでのモノの消費の仕方はおかしいのかもしれません。皆、薄々解っていながら、結果的にゴミになるものをたくさんデザインしてきたのかもしれません。自然から搾取した物質を消費することで生活を満たしていたら、最後には枯渇してしまいます。できる限り物質やエネルギーを消費する事をやめ、モノにも頼らず、人が本来持っている知性・知恵・知能(情報)を消費して、人生を満たす生活に変えて行く事がサスティナブルな社会の実現に繋がるのではないでしょうか?
人の生活は多くの場合、物質を消費しなくても目的を達したり楽しんだりすることは出来るでしょう。その場合、消費しているのは知恵という情報だけなのでしょう。ボードリアール氏が世界デザイン会議 京都で言っていた『文恵王子の肉屋』の話のように、モノを使いこなすとはそのようなことを言うのかもしれません。商品はその方向に向かわなくてはならないでしょう。サスティナブル社会と言われて久しいですが、今、本気で考えなければならない時期に来ています。

ハードウエアーのデザインとソフトウエアー・デザイン開発
私のようにソフトウエアーだけでデザインの仕事をしている場合、例えば、GUIの開発は物質的には何も消費していません。強いて言うなら電力を消費しています。これは開発だけではなく、その生産もコピーをするだけで、ユーザーは何も物質を消費していません。急速に発展してきたIT、ソフトウエアーの世界は、電気エネルギーしか使いません。もちろん、その情報メディア機器には、プラスチック、金属、レアメタル等多くの素材を使っていますが。また、GUI の開発はモノ(物質)を使わないだけでなく、デザインそのもの在り方を変えます。というよりも、デザインの本質に迫る問題を問いかけてきます。デザインを行う対象には物質実体が無いので、その形や構造のデザインを全て、恣意的に決定しなくてはなりません。また、本来実体のないものなので、GUI の概念が世の中に登場した時のように、現実世界をメタファーするといった表現手法を超えて、人の思いをダイレクトに表現することが重要となってきます。 pinch
例えば、「ピンチ(指を2本使って写真などを伸ばしたり縮めたりする動作)」の様に、人の思いや願望を形や動きにしたユーザーインターフェイスは、メタファーするリアルな対象が無いのです。つまり、人の思いや願望をダイレクトに表現出来るのがユーザーインターフェイスデザイン開発です。
さらに言うならば、今の情報機には外観のデザイン以上にユーザーインターフェイスのデザインが大事なのです。スマートフォンやTV 等ではほとんど外観をデザインする箇所が無くなり、結果的にミニマルなデザインになってきています。IT 商品の価値の本質はハードウエアー機器にあるのではなく、ソフト(ソフトウエアーだけでなく)やネットワークサービスになっています。ハードウエアーだけではもはやIT 機器のデザインは成り立ちません。

関西文明倶楽部の起源
モノの消費をやめ、生活の中にある文化や生活のためのソフトウエアーを見直そうという議論がかつてありました。それは約20年前、今回の関西文明倶楽部発足の起源となりますが、1989年に行われた世界デザイン博、国際インダストリアルデザイン団体協議会(ICSID)に向けて、関西JIDAのメンバー(奥田、中内、上田、竹綱)で立ち上げました。 icsid73「第1期の関西文明倶楽部」です。今回は第2 期になります。当時の事をよく覚えている奥田が説明しますと、議論のテーマになったのは、1973年に開かれたICSID’73KYOTO(京都世界デザイン会議)のテーマ「人の心とモノの世界」です。まだ学生だった私は、梅棹忠雄さんの基調講演『人の心とモノの世界』と、ジャン・ボードリアール氏の特別講演『経済と象徴交換の間に位置するデザイン』に強く感銘を受けましたが、どうもそこが起点になっています。あれから時代は大きく変化しましたが、今でも同じ様な議論をしているような気がします。同じ様なテーマであっても時代背景が変わると、もっと深い議論になると思います。そして何か提言が出来たら良いと思います。


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